◆さまがわりする世の中で

by 山田智也 2024年10月27日 ≪Column vol. 9≫

 だいぶ過ごしやすい季節となりました。この時期は、家では冬支度をして年末のことを考え始めるようになり、年内の予定や忘年会に向けて、色々と準備をしなくては、と考え始めます。不動産業界団体の予定や取引先との会食などが多くあり、コロナ禍前と比較しても、そういった会合はもとに戻りつつあります。

ただ、ひとつ大きく変わってきたのは、これまで当たり前だった二次会が少なくなってきました。そもそも、仕事終わりの飲み会自体が減り、若い世代は、上司の奢りで、嫌々つきあい酒をするくらいなら、家に帰って1人でYouTubeでも見たり、自分の時間を過ごしたり、自分にとってメリットがあるほうがいい。

そういう考え方にシフトしてきたのではと思います。寂しいなと思う反面、よくよく考えると、(自腹で奥さんに削られているお小遣いの中から)奢る方も、(いやあ、自分も将来は先輩みたいに後輩を連れていけるようにがんばります!という姿勢をみせる)奢られる方も、お互いに建前はありますが本音は辛いんだろうなあ、という面もあります。だったら、それぞれ顔を合わせずに気を使わずにいこう、と飲み会なし!としてしまうのが果たしていいのでしょうか。

それはそれで虚しいですので、たまには大人数ではなく、2~3人の軽い飲み会はどんどんやったほうがいいのでは?と思います。私個人的には、スマホをカバンにしまって、特に予約もとらずに1人で街を歩き、なんとなく店に入り、店の人との会話を楽しんだり、他のお客さんと話をしたりしながら一日を締める日も必要で、そういう日も大事にしています。

 俳優の西田敏行さんがお亡くなりになりました。私自身、大好きな人でしたのでとても寂しいです。ドラマ「池中玄太80キロ」や映画「釣りバカ日誌」シリーズでは主演をつとめ、いろいろなシーンで笑いと感動を与えてくれました。釣りバカ日誌のハマちゃん役は、会社では仕事嫌いで遅刻が常連の万年平社員です。でも妻をこよなく愛し、趣味の釣りに関しては一流で、その釣りのつながりで人脈があり、そしてハマちゃんの人柄でさまざま場面でミラクルを起こす、爽快な主人公役を演じます。

シリーズが進むにつれて、勤務先の鈴木建設の社長のスーさん(三國連太郎)とは社員と社長という壁を越え、真の親友となっていく友情ストーリーでもあり長編の舞台のようでもあります。人を色眼鏡で見ることなく、肩書や役職も関係なく、釣り好きはみんなともだちのハマちゃん。その生き生きとしているキャラクターが、ストレスが多く多忙であり、気むずかしく仕事に厳しい大企業の創業社長のスーさんの人生に彩りを与えてくれます。実際に、ハマちゃんとスーさんのような関係は、世の中には沢山あると思いますし、そういう意味でも、世の中捨てたものではありません。

 

 映画「釣りバカ日誌」が放映されたのが1988年12月、平成元年のお正月映画として第1作が公開されました。社会全体として昭和から平成になるときで、青函トンネル、東京ドーム、瀬戸大橋などが建設されたバブル絶頂期の反面、リクルート事件という戦後最大の収賄事件もあり、政治と金の額や問題も大きかった時代です。

会社からハードワークを求められていた時代背景の1989年には、栄養ドリンク「リゲイン」のCMで「24時間働けますか?」というキャッチコピーが歌と共に流行りましたが、果たして本当にみんながハードに働いていたのでしょうか。

たくさん働いて、たくさん稼いで、いい家に住み、いい車に乗り、派手に遊ぶことだけが成功なのでしょうか。今も昔も、そうではないと思います。あれから35年、働くことについての考え方や、価値観、美学までがすっかりと、さまがわりしているように思えますが、変わらぬのは、世の中は、常にいろいろな人のいろいろな価値観によって構成されている、ということではないでしょうか。

 今日、10月27日は衆議院議員選挙の開票日です。近年の投票率は50%台と低いです。昭和50年代は60~70%台、もっと昔の昭和20年代後半は80%近くまでありました。先日、行きつけの同年代の床屋さんと話をしましたが、私たちが子どもの頃の選挙は応援合戦が今よりも激しかった、私たちの父親世代がもっと感情をあらわにし熱く交わっていたし、そのもっと上の戦争に行った世代は更に激しかったでしょう、と。

 ふと、YouTubeで20年前の小泉純一郎さんの国会答弁のビデオを目にしました。郵政民営化を推し進めていた時期、構造改革を恐れずに、派閥や権力に負けず、「おそれず、ひるまず、とらわれず」で立ち向かってきた実績は凄いと、改めて感じました。

「人生いろいろ、会社もいろいろ、社員もいろいろです。(中略) 人生は画一的ではありません。人によっていろいろなんです。」

このシーンと言葉が心に残りました。同時に、息子の小泉進次郎さんも、この父親の影響を受けて今があるのだと思いました。

世の中がさまがわりし、世代が変わっても、生きていると「いろいろ」なことがある。「いろいろなことがある」、ということを受け入れるとすると、「いろいろなことがあって」、それはそれでしょうがないのではないか、ということなのでしょうか。

組織で人の上に立つ、またはリーダーとして先を走ると、他人からバッシングを受けがちですが、それを受けながら進むか、または受けないところに身を引くか、また他の自分の居場所を見つけていくのか、それもこれも、人によっていろいろなのでしょう。

私も自分が置かれているポジションで、できることと、そうでないことの整理をよくして、できることを増やしていくように頑張ろうと思います。